ミライ経済Lab.を創設した、もうひとつの理由
こんにちは。ミライ経済Lab.株式会社 代表の神田千鶴です。
「ご挨拶」のページは、もう読んでくださいましたか?
「ご挨拶」では、私がこの会社を興した原動力は、『危機感』という名の情熱と野望だとお伝えしました。
「会社が会社の本質を忘れてしまっていること」を本当に、心底、とても残念に思っています。
だから、ぜひ真の会社の姿を取り戻しましょう!全力でサポートします。
それはそれとして、
私がなぜ、この会社を興したのか、には、実はもうひとつ個人的な理由があります。
それは、『罪悪感』です。
私は、色々な意味で、どちらかというと割とタフな環境で育ってきました。
ですが、「もうムリかも」と思ったところに幸運が、みたいなことが重なりに重なって、
いまは何不自由ない生活を送ることができています。
毎日「ありがたいな~」としみじみ感謝しながら眠りにつくのが日課なのですが、
時々、「もし、あのラッキーな出来事がなかったら、どうなっていたんだろう」と、
ふと考えることがあって、その、私には起こったラッキーな出来事が、起こらなかった人生を歩んでいる子供が現実にはたくさんいることが、とても気になっていました。
なんか、自分だけラッキーで申し訳ない、と。
いつか・・・必ず何時か、不遇な環境にある子供たちの役に立つ仕事をしよう!
そう最初に思ったのは、中学生の時。志願して行った乳児院(様々な事情で親から離れて暮らす0~2歳児のいる施設)でボランティアをしたその日に誓いを立て、社会人になってもずっと想いを抱きながら、
でも忙しい日々はただただ過ぎていくばかりでした。
そして、ある日、私は、あまりの忙しさに倒れてしまいました。
出張帰りで羽田に到着した飛行機から自力で降りることができず、CAさんに両脇を抱えられた時に
「座席の上に荷物が・・・」と言ったところまでは覚えていますが、そのあとの記憶がありません。
主治医には、「心臓が丈夫でよかったですね。あなたは運がいい」と言われました。苦笑
その後、休職。医者の制止を振り切り、早々に復帰してみたものの、直近3年分の記憶がまだらに喪失していることが発覚したのも重なって、長い長いリハビリの日々を過ごしました。
長い年月を経て、やっと完全復帰し、「さぁ、やるぞ~」と思った時に、、、、、
“そんなもののために生かしたんじゃない”と誰かに言われた夢をみました。
正直、今までみた夢の中で二番目に怖かった。。。
数日後、テレビをなんとなくみていると、日本財団のCM(夢の奨学金編)が流れました。
朝刊を配達する男子高校生の映像 ――――――
ん?小遣い稼ぎのバイトじゃなさそう。この子も生きるために稼いでいるのかな?
自分の高校時代と重ねてみていた次の瞬間、目に飛び込んできたのは、
「毎年、1,800人の子どもが、児童養護施設を出なければならない」 という文字
30秒のCMが終わった時には、「NPO法人をつくろう」と決めていました。
監査法人に所属しながら、ボランティアで活動することもできたかもしれません。
でも、それでは、私の罪悪感は消えないと思ったので、独立をして、
子供たちの役に立つ仕事にも注力できる道を選びました。
独立を決めてから、色々と調べ、考えたりする中で、福祉としての慈悲の事業でなく、
会社の社会的義務の一環として何かできないのか、だって会社は、社会課題を解決する器なんだから、
という思いが強くなりました。
それを自分の会社で挑戦するために、私はこの会社を興しました。
賛同してくださる仲間や企業と共に、新しい試みにチャレンジする。
そんな強い決意でいます。